函移 第1住 2008年10月1日[水]
プロローグ
家の前での2ショット。屈託のないお二人の笑顔からは、大沼での楽しい生活ぶりがうかがえます。後ろに見える「タイ古式マッサージ更紗」の看板は、イクサンダー大沼カヌーハウスのヒゲさんが、二人のために木彫りで作ってくれたもの。
大阪出身の大野篤史さんと鹿児島県出身の更沙さんが、大沼に移住してきたのは2006(平成18)年4月のことでした。
恋人同士だった二人は、翌日に七飯町役場へ行き、転入届と同時に婚姻届を提出しました。
「婚姻届を出すのは、七飯町でって決めてたんです。」と、語るのは奥さんの更沙さん。
大沼に移り住み、夫婦となって再出発を心に決めた若い二人。
でも、ここにたどり着くまでには、3年の歳月がかかったといいます。
過酷な東京時代
大阪や東京でプロのカメラマンとして多忙な毎日を送っていた篤史さん。特に東京の編集プロダクションに勤めていたときは、その日のうちに家に帰られれば早いほうで、とにかく過酷な毎日を送っていたそうです。
「出版系の仕事をしていたので、この世界ではこれが当たり前だと思っていました」と、東京で過ごしていた頃を振り返る篤史さん。
でも、その生活も長くは続かなかったのです。
「高血圧」、「動悸」、「めまい」
篤史さんを襲った症状です。
とうとう篤史さんは病に侵されてしまい、仕事を続けることができなくなってしまったのです。
それは2003年春のことでした。
東京での出来事を淡々と話すご夫妻。お二人の顔からは、すっかり笑顔が無くなってしまいました。
生き方の模索
会社を辞めてからは、病気の治療をしながらフリーカメラマンとして仕事をしていた篤史さん。自分のペースに合わせて仕事をしていたせいか、病気も徐々に良くなっていったそうです。
「どんな状況でも、写真でやっていこうと思っていました。会社を退社してからは、だいぶ病気も良くなりましたし・・・。でも、実は写真に対するモチベーションが自分の中ですっかり落ちてしまって・・・。そこでこの頃、他の生き方を模索し始めたのです」。
「他の生き方」・・・?
自分の生活を180度変えるということは、人間誰しも大変勇気のいること。頭では簡単に考えても、なかなか実行に移すのは大変なことです。
また、その自分にとってのベストな生き方を見つけられるかどうかという点においても、何も保障はありません。
しかし、ここから篤史さんの自分探しの旅が始まっていくのです。
奥さんとの出会い
さて、ここあたりでそろそろ奥さんの更沙さんとの出会いについて伺ってみました。
「1998年に礼文島に旅行へ行ったときに、偶然同じく旅行で来てたこの人に(篤史さんを指さしながら)出会ったんです」と、説明してくれたのは更沙さん。
「そのときは旅先で知り合ったというだけでしたが、翌年、私が大学3年生のときに、自分探しをするために礼文島のユースホステルで働くことになったのですが、そのときにこの人も(同じく篤史さんを指さしながら)偶然にも同じホステルに働きに来ていたのです。そこでお互いびっくりして・・・」。
まさに二人はドラマに出てくるかのような、運命的な出会いをしたというわけです。
その後、更沙さんは老人介護の仕事をしながら、神戸で暮らしました。ですから篤史さんの過酷な東京での生活や病気のことも、更沙さんはよーく知っており、共に一緒に悩み苦しんできたというわけです。
もう一つの家族
2005年、篤史さんは更沙さんと一緒に、今後の生き方について模索し始めました。
そして二人がまず起こした行動がアジア旅行でした。それは二人にとって、なんとなく出た旅。でも、そこで二人は今後の生き方のヒントとなる、ある二つのキーワードを見つけることができたのです。
一つめは「田舎に暮らしたい」、そして二つめは「人間らしく暮らしたい」。
旅先で偶然にも見つけたヒントでした。
日本に帰ってきてからは、その二つのキーワードに見合った場所探しが始まりました。そこでまず始めに奈良の明日香村を候補にあげました。実際に現地にも行きました。
明日香村は二人の郷里にも近いといえる場所でもあり、申し分のない場所。でも、なぜか二人は決心できずにいたそうです。
その後二人は2005年7~10月の間、大沼のイクサンダーカヌーハウスに居候させてもらうことになりました。
実は篤史さんが大学生の時、当時住んでいた大阪から北海道の宗谷岬まで、自転車で旅をしたことがあるそうです。そして宗谷岬に向かう途中、偶然にも大沼のユースホステルに立ち寄り、現イクサンダー大沼カヌーハウスのオーナー(通称ヒゲさん)に出会ったそうです。そのときにヒゲさんから、カヌーやバックカントリースキーのおもしろさを教えてもらい、それからというものここ15年もの間、大沼に通いつめていたというのです。
二人はニセコや富良野も移住先として視野に入れていたそうですが、何よりも大沼に住んでいるみなさんが楽しそうに生きている姿を見て、自分たちもここなら楽しく生きていくことができそうだなと思い始めたそうです。
そして二人の背中を強く押してくれたのが、イクサンダー大沼カヌーハウスのヒゲさんとカントリーキッチンバルトのオーナーだったといいます。
「今住んでいるところもヒゲさんが見つけてくれたんです。とにかくヒゲさんとバルトのオーナーとは、今でも家族のようなお付き合いをさせてもらってます。ヒゲさんからは“5番目の長男坊”って言われているんですよ(笑)」と、篤史さん。
こうして二人は大沼への移住を決断したのです。
大沼での仕事
2006年の春に大沼に移住してから、約2年半が経ちました。
現在、二人は元々民宿だった建物を借りて住んでいます。篤史さんはパソコン出張サポートの仕事を、更沙さんはタイ古式マッサージの仕事をしています。
「大沼に住むって決めてから、住む所や仕事などすべて後から形がついてきたんです」と、更沙さん。
本来、篤史さんの本業はカメラマンで、更沙さんは介護福祉士でした。
篤史さんはパソコンに詳しかったことから、ヒゲさんをはじめ周りの人から「パソコンサポートの仕事で食っていけるんじゃないか」と、アドバイスをもらったのがきっかけで、今の仕事を始めることにしたそうです。
また、更沙さんはというと、たまたま大沼にあったタイ古式マッサージのお店にお客として行き、そのマッサージがとっても気持ち良かったので技術を習得するためにスクールに入学、その後アルバイトをさせてもらうことになったそうです。しかしその後、突然、そのお店のオーナーから店を閉めるので、店を継がないかとの相談を受けたそうです。更沙さんはさらにその腕を磨くために、今年3ヵ月ほどタイへ行き、本場の技術を勉強してきました。
二人にしてみると、パソコン出張サポートの仕事もタイ古式マッサージの仕事も、大沼に来るまでは想像もしていなかったことでした。
「大沼に住む」と決断できたことで、二人の生きるべき道の扉が開かれたことに間違いはないようです。
元民宿だった建物をそのまま利用しているので、なかなか味のある雰囲気。
タイ古式マッサージはここで行われている。ゆったりとくつろぐことができる。
窓の外には縁側があり、暖かい季節だと縁側に座り庭を見ながらまったりするのもいい。
大沼での生活

普段の二人は、自分たちの仕事はもちろんですが、ヒゲさんのカヌーハウスのお手伝いや大沼観光協会で運営しているサイト「まるごと大沼」の取材等のお手伝いなど、何かと大忙しのご様子。
「どこかが忙しければお手伝いに行きます。大沼ではこうやって、助け合うことが当たり前なんですよ。自分たちも移住するにあたって、いろいろと助けられました。だから自分たちの仕事よりも優先してどこかのお手伝いにいくこともあるんです」。
このような人と人との温かな触れ合いがあるのも、大沼の魅力。
二人は自分たちの時間も大切にしています。
篤史さんは趣味のバイクで更沙さんと一緒にツーリングしたり、もちろん大好きなカヌーを楽しんだり・・・。
更沙さんは朝採りの野菜を買いに近くの直売所まで自転車で出かけたりと、毎日楽しみながら暮らしています。
また、家にはちょっと立派な鉄板があり、大阪出身の篤史さんが作る本場のお好み焼きを求めて、仲間や知人たちが家に遊びに来ることも多いそうです。
このように大沼での暮らしを楽しんでいる二人。
「住んでから、もっと大沼のことが好きになりました。大沼は自然以外に何も無いのがいい。そして何より人が面白いんです」と、最後に二人は笑顔で語ってくれました。



